たね

自分の中の正しさを疑いたくなる映画 「万引き家族」

下書きを書いてすっかり忘れていたのでいまさら更新「万引き家族」の感想

 

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万引き家族」を観てきた。

映画館の前に貼られていたポスターが、ずっと気になっていたのだ。

 

家族ぐるみで万引きしてるのにそんないい笑顔かよ。

リリー・フランキー安藤サクラとか絶対面白いけど、映画好きしか観ないやつだな。

 

と勝手に思っていたら、カンヌでパルム・ドール受賞。

超話題作である。

 

ずぶずぶのAmazonのプライム会員である私はめったに行かない映画館(「君の名は。」以来初)に足を運んだ。

 

 

 

想像できなかったどんでん返しがあったわけでもなく、涙せずにいられない感動のシーンがあったわけでもない。

いい話だったとか、面白かったとか、逆につまらなかったとか、そういう感想も出て来なかった。

ただ、この映画を観終わった時、来てよかったなと思えた。

 

 

 

子を連れてスーパーで万引きをする父。

パート先で他人の物を盗む母。

家族の生活の風景に、汚さ、醜さのようなものを感じる描写もあった。

私がこれまで「いけない」と教えられてきたことは、この家族にとっては日常だ。

 

いつものように万引きをした帰り道、虐待を受けベランダに放り出された子供を見つけた父は、思わず家へ連れ帰ってしまう。

社会的には、これは立派な犯罪。

しかしその行動の元には、この子供を助けたいという人情があった。

彼らの選択は間違っているかもしれないし、他にもっと良い方法があったかもしれない。

彼らは子供達に良い生活をさせることはできないし、世の中的に正しいことも教えられない。

ただ彼らは、彼らの中で正しいと思うことに従って生きていた。

連れて帰った子供が徐々に家族の一人に変わっていく姿が、社会的に正しいとされている人の在り方に対して疑問を投げかけているようだった。

 

 

  

この家族は血の繋がった家族、いわゆる「本当の家族」ではない。

しかし、本当の家族とは何なのだろう。

ベランダに子供を放り虐待を続けていても、血が繋がっていれば本当の家族なのか。

 

そして、人として正しい在り方とは何なのだろう。

ベランダに放られている子供を見つけても、見て見ぬ振りすることが、人として正しいことなのか。

 

 

 

自分が今まで正しいと思っていたことは、本当に正しかったのか。

自分の中でその正しさを疑ったことはあっただろうか。

私が考えたところで社会は変わらないかもしれないが、

もう一度考えようと思える映画だった。

ツッコミが止まらない、愛すべきアニメ「美味しんぼ」の魅力

最近Amazonプライムビデオでアニメ「美味しんぼ」を見るのが日課になっている。

 

アニメ「美味しんぼ」は1988年からスタートした。その頃私はまだ生まれていない。

 

昔ながらの定食屋や喫茶店などに単行本が並んでいたので名前だけは知っていたが、食にちょっとこだわりを持つ男が全国のグルメを淡々と食べ歩くようなストーリーを想像していた。

 

プライムビデオのトップページに度々上がってくるので軽い気持ちで1話目を再生したのだが、ツッコミ要素満載の「美味しんぼ」に私はまんまとはまってしまっている。

 

あらすじ(プライムビデオ「美味しんぼ」のトップページより引用)

東西新聞文化部の記者である山岡士郎と栗田ゆう子は、同社創立100周年記念事業として「究極のメニュー」作りに取り組むことになった。しかし、ライバル紙の帝都新聞が、美食倶楽部を主宰する海原雄山の監修により「至高のメニュー」という企画を立ち上げた。ここに「究極」対「至高」の、海原雄山山岡士郎の間で繰り広げられる、料理を通じた親子対決が始まる!!

 

あらすじにある「至高のメニュー」が出る回、実はまだ見ていない…。

現在Amazonプライムビデオの30話目「ビールと枝豆」まで見た「美味しんぼ」初心者の私だが、「美味しんぼ」の魅力を書いてみたいと思う。 

※このブログ内では、Amazonプライムビデオ上の話数で話を進めていきます。

 

 

 ここがやばい!「美味しんぼ(語彙力のなさがすごい)

 

 

① 他人を巻き込む!迷惑な親子対決

主役である一見冴えないサラリーマン山岡士郎は、実は有名な美食家海原雄山の息子。

美食への過剰なこだわりを持つ父のせいで家庭を崩壊された過去を持つ。

美食にこだわることに対する嫌悪感を抱きながらも、雄山の元で育てられたため食にこだわらずにいられない体になってしまった自分にジレンマを感じている。

 

究極のメニュー作りの取材で度々鉢合わせる父との間に勃発するバトルが美味しんぼの魅力の一つである。

 

6話目「幻の魚」では、雄山が山岡の姿を見つけた瞬間に「食べ物の味もわからぬ山猿を私と同席させるのか!」と激怒し周囲をざわつかせる。

なんとかその場はおさめられるものの、やはり途中で再びバトル勃発。

刺身は鯖が一番といった山岡を「この愚か者めが!」とあざ笑う雄山のニヤついたドヤ顔と盛大な笑い声が実に笑えるのだ。

ムキになる山岡も山岡だが、雄山の傍若無人な言動・実の息子に対する子供っぽい嫌がらせに、「お前が一番愚か者だよ…。」とついついつっこんでしまう。

 

 

② 寿司をCTスキャンに!?食に対する狂ったこだわり 

究極のメニュー作りのため様々な美食家や料理人のもとを訪れる山岡と栗田。

出された料理を口にするも、その料理のまずさを指摘し「本物の料理を教えてやる!」と喧嘩を売る山岡。

 

同席者を後日わざわざ集めて山岡が本物の料理を紹介し、最初に出た料理がいかにまずいか、なぜまずいかを丁寧に解説。

全員の前で恥をかかせるなかなかの畜生。

雄山を憎んでいる山岡だが、まさしく「此の親にしてこの子あり」といった感じだ。

 

しかし、山岡に恥をかかされた者は素直に反省することがほとんど。

美味しんぼ」の世界は優しい世界なのである。

 

このパターンで特に私が好きなのは、9話目の「寿司の心」 

銀座で一番と言われる寿司職人と山岡の紹介する最高の寿司職人、

それぞれに寿司を握らせてその美味しさを比べた後、米の断面を比較するために大学病院までわざわざ赴き寿司をCTスキャンにかける回だ。

4方向からの寿司ショットを見て米粒の様子を科学的に解説する。(ここでなぜか山岡ではなく大学病院の勤務医が説明する。お前は何者だ。)

完全に頭がおかしい。(もちろん褒めている。)

 

 

③ 現実にいたらやばい…でもなんだか憎めない登場人物たち

美味しんぼ 登場人物」で検索すると、検索候補に「クズ」が上がってくる。

それほど「美味しんぼ」のキャラクターは総じておかしいらしい。

雄山・山岡親子の食に関する言動が目立つが、ヒロイン栗田も新入社員の割になかなか自由な言動が多い。(しかしなぜか皆スルーの優しい世界)

 

中でもクズで有名・かつ私がいちばん気に入っているのは、

広いおでことメガネに、大きい前歯が特徴的な「富井副部長」

この人こそ、ダメなのになんだか憎めない「美味しんぼ」キャラの代表だと思っている。

 

山岡に小言を言うシーンが多いが、お調子者で失敗ばかり。

何を食べても「美味しい」しか感想が出てこない富井副部長。

回を追うごとにキーキーうるさくなっていく声を嫌う人も多いようだ。

 

失敗した時の落ち込み方は若干うっとおしいのだが、そのしょんぼりした顔が意外と可愛い。

22話目「旅先の知恵」では、ひどい嫌がらせをしてきたライバル新聞社に対して、冗談を言いながら許してやる心の広い一面も見せている。

 

美味しんぼ」のキャラクターには、それぞれに突っ込みどころ満載の人間性やおかしな行動がある。

しかし彼らにはそのお互いのダメな部分や失敗を許し合う心の広さがあるのだ。

私はそこに、なんだか憎めない可愛らしさを感じてしまっている。

 

 

番外編:バブルを感じるシーンの数々

バブル時期に放映されていた「美味しんぼ」ならではのシーンも楽しみの一つ。

 

経費が異常

山岡たちは、高級店に何度も足を運んでいる上、(勝手に売った喧嘩のために)最高の食材を求めて県外へ大移動したり、幻の魚を釣るために船を毎日出させたり、「究極のメニューづくり」のために異常な経費を使っている。

しかも肝心のメニューづくりは一向に進まない。(さらに会社では居眠り・競馬とやりたい放題の山岡)

バブル時期としても異常だろうが今の時代では考えられないストーリーだと思う。

 

当時の町の様子

最高の料理を求めて様々な町を訪れるシーンで、銀座や渋谷、上野など、当時の町の様子が描かれている。

この30年の開発でかなり変わってしまった町の姿、今はもう無くなってしまったビル、逆に、今も変わらず残っている店。

それぞれを比べて時代の流れを楽しむのも面白い。

 

もはやエモい、リアクション芸の数々

この時代のアニメならではのリアクション。

驚いた時の反応や、がっかりした時の反応など、時代を感じるリアクションがいちいち面白い。CMを挟む際のアニメーションの表情もなかなかである。(いつになったら変わるのかこのシーン)

 

 

まとめ

普通のグルメアニメと思っていた「美味しんぼ

実はツッコミ満載のバトルアニメ(ちょっと違う)だったとは!

勝手に魅力を伝えたいと思い立ち書いて見たが、やっぱり見てもらうのが一番。

少しでも気なった方がいたら、ひとまず1話目を見て欲しい…!! 

私も今30話までしか見ていないので、まだまだこれからも楽しみだ。

 

オフショルだ。

暑い。

オフショルダーの彼女達が街にはびこる季節になった。

 

最近届いたLINEニュース。今田耕司さんが深夜デート。

画像の彼女もオフショルだ。

 

 

「まただ。オフショルダー。」

 

 

私はオフショルダーが苦手だ。

着るのも苦手けど見るのが苦手。

 

オフショルの人に出くわした時の感じはあれに似ている。

 

 

 

 

 

ジェラートピケに行った時いつも感じる。

 

あの店の女子達はなぜ平然と部屋着姿で働いているのだろうか。

よそ行きの布に身を包んでいる人たちに囲まれながら、なぜあんなに笑顔を振りまけるのだろうか。

 

部屋着は本来他人に見せるものではないし、見られたくないはずのものだ。

しかしジェラートピケのルームウェアとなると全く意味が変わってくる。

そのへんのスウェットや訳のわからないバンドTとは違うのだ。

 

柔らかな女子を包み込むパステルカラーのふわふわ・チュール・コットン

あからさま露出じゃないけど隠しすぎてもいない絶妙なデザイン

 

あの部屋着は、紛れもなく誰かに見せるための部屋着である。

 

あの姿は大事な人にこそ見せるべき姿であり、

選ばれし者だけが見ることのできる姿であると私は思う。

 

 

なのに彼女達といったらなんだ。

もっと隠してくれよ。

大事な人のためだけにとっといてよ。

 

 

見たらいけないものを見てしまって、勝手にこっちが恥ずかしくなるような

まだそんな仲じゃないと言っているのに、急激に距離を詰められたような

そんな気分が私を困惑させる。

 

 

私が思う大事な姿を簡単に他人に見せてしまう彼女達が怖い。

 

 

可愛い私を

美しい私を

惜しむことなく誰にでも見せられる強さ。

 

 

強い布で隠さなくとも

彼女達は彼女達の可愛さや美しさが揺るがないことを知っているのだ。

 

 

オフショルダーも一緒だ。

だから私は苦手なのだ。 

 

 

 

書いているうちに最初の思いつきからどんどん違う方向に進んでしまっていた。

 

 

 

 

ちなみに私がオフショルに感じるのはおふ□だ。

とりあえず低めのハードル走ってみる

情報が溢れすぎている世の中のせいで、自分のやりたいことしっかりやってる超楽しそうな人がたくさんいることを知ってしまった。

 

その人たちはやりたいことのための努力を惜しまないし、臆せず新しいことにチャレンジしていて、いつも前を向いて走っている。

この人たちは確実に、私よりも「生きている」と思った。

 

その人たちを見ていて、私もやりたいことやろう!と少しずつ新しいことをやり始めるようになったので、「始める」ということについて考えた。

 

 

 

「とりあえずちょっとで良い」

 

勉強や読書が苦手な人でも、案外やり始めたらハマっちゃうことがあると思う。

だからまずは始めてみろっていうのはよく聞く話だけど、いつも手付かずのまま悩んでいた。

続けられるのか、上手くいくのか…駄目だったら使った時間無駄になるのか…と、それこそ時間を無駄に使って悩んでいた。

 

そしたらだんだん疲れてきて、そのことを考えるのがだんだん嫌になってくる。

最初はやりたかったことだったはずなのに!

 

だからもう考えなきゃいいのだ。

考えずにとりあえずやってみる。

 

時間もちょっとでいい。

何かに登録してみるとか、この事柄だけ調べてみるとか。数分でできることでいい。

時間を作ろうとするとそこでかかる労力にまた疲れちゃうから。

 

 

 

 「始めてみないと本当のエンジンはかからない」

 

始めてみてからわかったのは、

やり始めて続けてみてから、初めて見えてくることがたくさんあること。

それに気づくことが次への原動力となること。

 

実際自分のエンジンがどんだけかかるのかはやってみないと気づけない。

意外とぐんぐん進めることもある。やってみて、上手くいかないことももちろんでてくる。

それはやってみなかったらわからなかったことだ。

 

最初のスタートはだめでもいいから、始めてみてどんどん改良していく方がストレスがない。

 

 

 

「スタートラインに立つために「こんな自分」をゆるして認める」

 

これまで、何かを始めるには相当な準備をして環境を整えないといけないと思っていたし、

まとまった時間がないとそのやる気が起こらなかった。

まとまった時間があったとしても

「どれもこれもやるなら時間をかけたい…でも全部やりたい…どれがいいんだ…」

と悩むだけ悩んで、気づいたらスマホを眺めていた。

 

やってみて上手くできない自分を認めたくない。始めたのに続けられない自分をゆるせない。

見えない意識の中にそんな感覚があったのだと思う。

 

「やってみてダメだったらやめればいいだけ。だからやらない理由がない。」

最近ある人がそう言っていたのを聞いた。

やめればいいだけ。

やめる私をゆるせば良いだけなのだ。

 

まだ何も進んでないものごとについて、ゆるせないとか認められないとか考えることほどあほらしいことはない。

これを読んだ人で、こんなことで悩んでる人がいるなら言いたい。さっさと自分をゆるしてしまえ。

 

 

 

 

新しくなにかを始めるのは疲れるし、始められても続けられないことにストレス感じることもある。

だから、まずはハードル低めに設定して、ゆっくり走ってみたいと思います。

 

 

心の中に溜まってく

心がじんわりと熱くなるような

 

ゆっくり透き通っていくような

 

私を突き動かすような

 

 

 

何かを見たとき聞いたときに感じるこの心の動きを

どうにかして人に伝えたいと思うけど

どうにも伝えられなくてもどかしい

 

 

 

この感動を伝えたいと強く思うのに

表現する方法がずっと見つからない

 

 

写真にすれば消えてしまうし

絵も上手くかけないし

文章だってこんなかんじだ

 

なんだっていいけど感じたものをありのまま表現する術がほしい

 

芸術家と言われる人がかっこよく見えるのは

その術をもって表現することに全力を注いでいるのがうらやましいからなのだと思う

 

ビール広告に感じた堤さんの寛大さ

 

最近電車内で衝撃を受けた広告がある。

 

「あぁ幸せ。」というコピーと、ビール片手に最高の表情を浮かべる堤真一

 

いつもなら「あぁすてき。」ってなるとこなんだけど(松島菜々子主演のドラマ「やまとなでしこ」を見てから堤真一のファン)

その時真っ先に出てきたのは

 

「毛穴すげえ」

 

だった。

 

これ以上ないほど明らかにされた毛穴達。

堤さんの肌がどうとかじゃなく最近のカメラの高すぎる解像度のせいだ。

なんだかちょっとぞわっとする量。

おそらく生で本人の肌を見たほうがなめらかに見える。

 

意図があっての強弱強め編集なのか…⁉︎

被写体の方への配慮も少しは…‼︎

とひとり葛藤しつつ電車を後にした。

 

後日広告のことを思い出し、改めて公式HPを見るとやはり堤さんの毛穴はすごいままだった。むしろちょっと前よりすごく見えた。

でもその時に気づいたのだ。

普通なら見られたくない毛穴をこんなにも寛大に全国に公開する堤さんは、他とは格が違うイケメンなんじゃないかと…。

 

初めは衝撃を受けた広告だったが、今は(毛穴を)見られることなんていとわない堤さんの最高の表情が、私の心をつかんではなさないのだ。

うえている

 

 

最近飢えている。

 

 

美味しいものとか、感動したこととか、面白いこととか、気になってることとか

 

自分の中に出てきた気持ちを伝える先が最近なくてもやもやしている。

 

伝えないと消えてしまいそうなので、私の吐き出す場所と備忘録にしたい(ビボウかボウビかわからなくなって打ったらどっちも変換でてきたけどどっちが正解?)